薩摩焼は、苗代川焼・龍門司焼・竪野焼(磯お庭焼)の3つの流派に大別され、それぞれの地名を産地の名称として使用してきました。薩摩焼の始祖といわれる陶工達は、慶長三年(1598)、串木野(島平)・市来(神之川)・鹿児島市(前の浜)に着船しました。串木野(島平)に上陸した者達は、最初に串木野に築窯。慶長8年(1603)苗代川に移住し、製陶を始めました。その後苗代川で焼かれる焼き物はその地名を取って苗代川焼として親しまれていました。
昭和31年9月30日に地名を苗代川より美山と改称、我々渡来陶工の子孫達は、故郷が日に日に其のたたずまいを変えて行く昨今、苗代川の地で作陶を始めた先人の事を忘れないようにと、焼き物にその名を残しました。
土地の名称で無くなった苗代川という呼び名は商標の対象となり、県内外の商社によって商標登録の動きが始まりました。荒木幹二郎はこのままでは苗代川焼の窯元がその名称を使用出来なくなる旨を美山の陶器組合に説明し、商標の登録を提案しましたが、時代の流れか「美山に改名したので、苗代川という名称は不用」との意見が大半を占め、聞き入れてもらえませんでした。
やむなく荒木幹二郎は個人で商標の登録を行い、昭和39年より50年以上に渡ってその名前を守り続けています。
* 商標の取得はあくまで苗代川焼の保存と発展の為であり、苗代川焼伝統保存会の会員(荒木陶窯・佐太郎窯・山本陶苑)にはその商標の使用を無料にて許可、苗代川焼伝統保存会によって現在もその名前は守られております。